2013
Jan
29
4
熊本城2
では宇土櫓から
宇土櫓 慶長年間(1596~1614) 重要文化財
熊本城内に残る唯一の多層櫓で、古くから小西行長の宇土城天守を移築したものと伝えられ、宇土櫓の名の起こりとされました。
しかし、解体修理の調査などから熊本城内で創建された櫓であると明らかになりました。
中に入ります
しかし、解体修理の調査などから熊本城内で創建された櫓であると明らかになりました。
中に入ります
天守閣が見えますね~
西の方角
藤崎台球場があるのですが、その周辺にクスノキの群生があり、国指定天然記念物になっています。
樹齢1000年の木もあるそうですよ。
樹齢1000年の木もあるそうですよ。
大天守ですね~
いよいよ天守閣に向かいますとその前に・・・
五郎の首掛石
1800kgある石を首にかけ、JR熊本駅の西にある花岡山から約2kmの距離を楽々と運んだと云われる横手五郎。
父の木山弾正(きやまだんじょう)は天正17年(1589)の天草一揆の時、志岐麟仙(しきりんせん)の味方して仏木坂で加藤清正に一騎打ちを挑み戦死しました。
五郎は清正を仇と狙い、築城入夫として石運びの仕事をし、父の恨みを晴らそうとしていました。
ところが、その間に素性を見破られ、井戸掘りをしている時に生き埋めにされたそうです。
どの井戸やろ・・・ようさんあるけど・・・怖いわぁ・・・
父の木山弾正(きやまだんじょう)は天正17年(1589)の天草一揆の時、志岐麟仙(しきりんせん)の味方して仏木坂で加藤清正に一騎打ちを挑み戦死しました。
五郎は清正を仇と狙い、築城入夫として石運びの仕事をし、父の恨みを晴らそうとしていました。
ところが、その間に素性を見破られ、井戸掘りをしている時に生き埋めにされたそうです。
どの井戸やろ・・・ようさんあるけど・・・怖いわぁ・・・
大天守の真下から
福島正則将軍
熊本城にはおもてなし武将隊が居られます
私のようなおばちゃんでも「姫」と呼んでくれますよ~
なかなかのイケメンでっせ~
私のようなおばちゃんでも「姫」と呼んでくれますよ~
なかなかのイケメンでっせ~
旦那が記念撮影
小天守入口 こちらから入ります
忍返(しのびがえし)
石垣を上がってくる敵の侵入を防ぐために小天守の1階部分、石垣と接する場所に鉄串(両刃の鑓穂)が短い間隔で並んでいる。
こんなんに刺さったら痛いやろなぁ・・・
こんなんに刺さったら痛いやろなぁ・・・
私も記念撮影
こちらのお方はたぶん・・・脇坂安治公ではないでしょうか。
お面を被っているので判らないのですが・・・
武将隊は
加藤家・・・加藤清正、八十姫(清正の末娘)、森本一久、庄林一心、飯田直景
賤ヶ岳七本槍・・・福島正則、木村又蔵、加藤嘉明、脇坂安治、糟谷武則
が居られます。
残念ながらこの日は清正公は居られませんでした
翌日、成人された人たちの前でお話している姿がニュースで流れてましたね~
おもてなし武将隊のHPはこちら
お面を被っているので判らないのですが・・・
武将隊は
加藤家・・・加藤清正、八十姫(清正の末娘)、森本一久、庄林一心、飯田直景
賤ヶ岳七本槍・・・福島正則、木村又蔵、加藤嘉明、脇坂安治、糟谷武則
が居られます。
残念ながらこの日は清正公は居られませんでした
翌日、成人された人たちの前でお話している姿がニュースで流れてましたね~
おもてなし武将隊のHPはこちら
天守の中は博物館になっていますね。
次が本命、本丸御殿を見学です。
昭君之間が観たかったんですよね~
(2013.1.13)
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